ヒストリー

私はサッカーが大好きで

ろくに勉強もせずサッカーに

明け暮れる日々でした、

地元の中学校卒業し神戸市にある名門校に入学することができました。

日々練習に没頭し

プロ選手になると掲げていました。

 

2度の怪我により夢は叶いませんでした。

人生で大きな挫折を味わうことに…

高校卒業して就職し何気ない幸せな生活を送っていました。

ふとある日この生活に何か違和感を感じるようになり

「自分は何がしたいのか」

と考えるようになりました。

実家が鮮魚店と仕出し店を営んでいた影響から私は小さい頃から

料理をすることが大好きでした

 

19歳の時、「自分の作った料理で喜んでもらいたい」

と決意し飲食店に修行に行き猛勉強しました。

21歳で実家と同じ屋号「魚雅」を開店し、

たくさんのお客様に支えられながらお店を営業してきました。

しかし店舗での営業は人数に限りがあり

「もっと多くの方に自分の料理を届けたい」

と念い 「仕出店を創設」することになりました。

仕出し料理は、飲食店の様な温かい料理をお召し上がりいただくスタイルとは異り、

安心、安全面を最優先に考えた冷めてもおいしい料理を提供する業態です。

その為「日々勉強し創意工夫の毎日でした」

そうこうしているうちに5年が経ち、32歳の時、とあるご縁から九州地方の

同じ志をお持ちの仕出し店の方々に出会うこととなり、

経営や料理について時間を忘れ熱く語り合いました、

「お客様においしい料理を届けたい」と、

「飲食仕出し研究会」を開設し

同志と共に、料理や運営方法など学び、多数の仕出し店へ訪問して視察させて頂き、様々な皆様に色々学ばせていただきました。

今もなお継続しています。

 

「おいしい料理は素材から」

私は姫路市中央卸売市場、(通称市場)

毎日通い吟味し仕入れています。

通い始めた頃は市場の人は言葉も荒くどちらがお客様かわからない雰囲気で、

とうてい仲良くなれる気がしませんでした。

しかし市場に通い20数年

今では兄弟のような関係で、食事や旅行にも一緒に行っています。

いつも魚に関わる話ばかりで、魚の話をしないと決めていても

最後はいつも魚、魚で終わっています。

そんな熱意を持った市場の中梅商店さんから

仕入れ、手を施し、お客様にお届けしています。

「古き良きものを守り、新しき良きものを取り入れる」

日々仕出し料理と真剣に取り組んでいます。

これからも、地元地域のお客様に

「魚雅があってよかったネ」

と言っていただける存在でありたいと思っています。